高齢者の自殺統計

死因比が上がる一方、死亡率は下がっている

ウェザロール ウィリアム (羊舎研究所)

生活教育, 第39巻, 第11号, 1995年11月, 8-12頁

This article was originally written and published only in Japanese.

Elderly suicide statistics
Ratio as cause of death increasing, but mortality rate decreasing
By William Wetherall (Yosha Research)

A version of this article was published as
"Koreisha no jisatsu tokei: Shiinhi ga agaru ippo, shiboritsu wa sagatte iru"
[Elderly suicide statistics: Ratio as cause of death increasing, but mortality rate decreasing] in
Seikatsu kyoiku, 39(11), November 1995, pages 8-12
Magazine for Public Health Nurse (Tokyo: Hoken Dojin Sha)


目次

はじめに
自殺統計の迷路と錯覚
誤った情報とその副作用
「数」と「率」の違い、と「年齢調整自殺率」の意味
マスコミが広める亡国論
自殺問題の予算化

表1   日本の65歳以上の男性、1900-1990
表2   日本の65歳以上の女性、1900-1990

言葉遣いの譲り合い


近年、高齢者の自殺が「増えている」という報道が目につきます。ところが、これは曖昧な表現で、高齢者の死亡統計が語る疫学上の実態とは異なっているのです。「数」と「率」の違いを正しくとられ、さらに「年齢調整自殺率」を算出しなければ、実態は把握できません。

筆者は、「数」が強調されたり、特定の背景を決めつけるような報道の誤りを、統計学の立場から厳しく指摘します。


はじめに

近年、人口の高齢化とも関連して、高齢者自殺の「増加」に対する関心が高まっています。日本の人口の高齢化に伴う高齢者の自殺予防は精神保健の緊急かつ重要な課題であると述べている専門家も多い。

しかし、高齢者自殺の研究と予防活動を効果的にするには、高齢者の死亡統計が語る疫学上の実態をより正しく把握することが必要です。

自殺統計の迷路と錯覚

一九二〇年から一九七〇年までの五十年のあいだに、日本の人口がほぼ倍増する中で、一年間の死亡者の数は半減しました。よって、死亡率(人口に対する死亡者数の割合、つまり、ある年に生きた人に対して、その年に人が死んだ確率)は、四分の一になりました。

同じ半世紀の自殺統計を見ると、一年間の自殺者の数は五〇%ぐらい高くなりました。しかし、自殺の死亡率(人口に対する自殺者数の割合、つまり、ある年に生きていた人に対して、その年に人が自殺した確率)は、二〇%から四〇%ほどまで下がりました。

一九七〇年から現在まで、日本の自殺率は、中年期の自殺率を除いては、あらゆる年齢階級においても、さらに最低を記録をしてきました。一時的に上がった中年期の自殺率も、近頃、また低率に戻り始めています。

しかし、自殺が低率化しているからといって、自殺の問題がなくなっているとは、一概に言えません。なぜかというと、自殺率が下がっている一方、自殺の死因比(死亡者数に対する自殺者数の割合、つまり、ある年に死んだ人に対して、その年に人が自殺で死んだ確率)は、四倍ほど上がりました。

言い替えれば、自殺の絶対的な危険度(自殺率)が下がってきたのに、自殺を除く死亡率が自殺率より早く下がってきた為に、死に方としては自殺が増えたことになります。要するに、日常生活の中で結核などによる病死が減少するにつれて、それほど早く減少していない自殺が比較的に目立ってきたり、死との体験としての存在が比較的に大きくなりました。その所為であろうか、自殺防止、特に若者や高齢者の自殺予防の関心が、高まっています。

しかし、自殺が「増えている」という曖昧な印象は、なぜ新聞、学者などに当てられているのでしょうか。それとも、なぜこの印象はそれほど呑込まれすいのでしょうか。

誤った情報とその副作用

『婦人公論』の一九八七年六月号が、下の見出しと質問によって読者の意見を募集しました。

自殺者増加の背景は?

昨年の自殺者二万五四五二人。二〇分に一人が命を絶った計算になります。それも高年齢者に多い。問題はどこにあるのか

自殺者が「増加」していると唱えながら、自殺を「問題」にするこのような記事の「背景」には、自殺統計を誤用する傾向が非常に強くあります。日本の「自殺統計」の誤ったイメージを主に作る共犯者は、『自殺の概要』を毎年四月頃公表する警察庁と、その記者クラブを初めとするマスコミです。

上記の『婦人公論』の記事は、最終的に編集されたのは、正に警察庁の『昭和六一年中における自殺の概要』が出た四月の中旬でした。この『自殺の概要』が形式的に公表されたのは四月一六日の午前中であり、それをそのままニュースにした新聞記事が出たのは同日の夕刊でした。

殆どの報道陣は警察庁が報告した全国の自殺者の総数を二万五五二四人に従って、自殺率がそうでもないのにこの総数を「戦後最悪」などと呼びながら死体の数だけに注目をした。こうした誤解を招く報道によって、日本における自殺の実態が世界中に誤解されています。

「数」と「率」の違い、と「年齢調整自殺率」の意味

どのマスコミを見ても、自殺の実態がなかなか分かり難いです。「数」と「率」などの概念上かつ用語上の混乱のために、解釈の誤りも多い。例えば、一九八六年の人口動態統計による自殺者総数が一九五八年の総数を八・六%ほど上回ったのは、件数上の事実です。しかし、その二八年の間に、人口は三一・四%も増えた。だから、単純(未調整とも粗とも呼ぶ)自殺率(自殺者数と人口一〇万当りの比率)は、一九五八年は二七・五で、一九八六年は比較的に低い二一・二でした。

しかし、単純自殺率は、人口の年齢構成などの差異や変化を補わない。年齢調整(訂正率とも呼ばれる)自殺率を算出してみると、一九三五年の国勢調査を基準人口にする調整自殺率は、一九五八年は二三・五で、一九八六年は一四・五となります。要するに、日本における自殺の実態は、マスコミなどが騒がしたような「戦後最悪の記録」のイメージとは遥かにずれたものなのです。

調整率をここで詳しく説明する紙面がないが、一言で言えば、異なった集団の比較や同じ集団の年次推移などの比較をするために、人口の年齢構成、性構成などの差異を取り除いて単純率を調整しなければなりません。厚生省は過去三十年のあいだに様々な人口を基準にして調整率を計算し、発表してきたのに、警察庁やマスコミが使わないというより、その意味や存在すらも知らないといったほうが問題の深刻さが分かりやすくなります。

また、統計学の基礎知識を持つ学者は、調整率の重要性を知っているのに自分で計算する研究家は非常にまれで、厚生省の調整率さえ利用する人も少ないのです。厚生省の専門家は自分達のあいだで当然のように使っているが、警察庁やマスコミも含む「愚民」に勧めようという努力もしません。

マスコミが広める亡国論

一九九一年に公表された『自殺の概要』の報道も今までのように自殺者数ばかりを強調しました。朝日新聞の見出しは、「総数は四年続き減る」と指摘しながら、「自殺の約四割高齢者」とより大きい字で主張しました。読売新聞も「自殺四年連続の減少」と強調しながら、より小さな字で「それでも年二万人以上」と指示した。毎日新聞は、「管理職の自殺増加」と報告したが、日本経済新聞は、「高齢者の自殺三割占める最悪」と断言した見出しの下に次のように書きました。

 ・・・六〇歳以上の高齢者が全体の二八・八%を占め、最悪状態にあることが、警察庁が二五日にまとめた「平成三年の自殺白書」でわかった。・・・高齢者の自殺は日本の高齢化がさらに進展するなかで、高齢者が生きにくい世相を反映している。・・・年齢別自殺者数を見ると、六五歳以上が六、一四一人で、人数で戦後最悪を記録した前年(六、三五八人)より二一七人減った。しかし、全体の二八・八%を占め、全体に占める割合では戦後最悪となった。

自殺者の年次別総数とその変化を考える時に、「最高」とか「増加」などのような表現は、記述的用語として、文脈によっては適切であるかも知れません。しかし、静態(一次元)的な数字だけでは、動態(多次元)的な発生が「記録となった」とか「増えている」などとそう簡単に決めつけられません。

総数を「最高記録」としても、それが「最悪」だとは一概に言えないにもかかわらず、条件反射的にそう連想する人々は実に多いのです。その上、「戦後」だけを時期的な境界線にすることによって、総数の「増加」の原因が戦後の社会状況にある、というような暗示までも与えがちです。

しかし、殆どの年齢階級における自殺率は、記録上の最低値、つまり最善になっています。それに、全体としては、戦前の方が高かったのです。

意図的でなくても、結果として、多くの官僚、記者、および学者が、自殺者の総数の 「増加」を戦後社会の「悪化」と結びつける。このような誤報から生じる暴論が最もよく現われてくるのは、高齢者における自殺の「増加」です。

自殺問題の予算化

警察庁が統計を集計したり公表する主な動機は、警察が何をやっているのか、そしてどれほど苦労しているのかを公に証明するためです。人口の増加やその構成の変化などに伴って捜査事件が自然に増える場合にも、事件の「数」を強調するのは、職員や設備を増やすための予算要求につながっています。高齢者の自殺が「増えている」と強調する学者にとっても同様です。自殺は「問題になっている」と主張したほうが研究費などが出やすいのです。また、高齢者の自殺が「増えている」ので日本の社会が「悪くなっている」と思い込み、また人にもそう思わせたい人も少なくないのです。

このように自殺を予算化する中では、警察庁の『自殺の概要』のように、集計したままの自殺者数を公表することには全く意味がない訳ではありません。総数は、ある時期に、ある地域で、何人が自殺するのか、ということの測定であり、自殺予防団体、救急病院、さらには調査経費の予算の資料としても価値のある数字です。

しかし、社会福祉の状態を指示する指標や疫学上の発生などとしての自殺統計ならば、少なくとも単純自殺率を計算しなければ意味がありません。そして、違う時期や違う地域などの比較をする時は、あらゆる年齢階級を含む全人口の場合のみならず、六五歳以上のような特定の部分人口の場合にも、年齢調整死亡率を算出する必要もあります。

ただ、幸いながら、高齢者の介護をする家族、保健従事者、カウンセラー、臨床家などにとっては、官庁、マスコミ、学界から流されてくる自殺統計の信頼性の問題を考える必要は全くありません。人の悩みは数の問題ではないからです。

***

高齢者の自殺予防はこれから複雑になると予想されます。高齢者が冷静に「尊厳死」や「自死」を求める場合はどうすればよいでしょうか。私個人としては、真の自殺予防とは、ヒトらしく安らかに死ぬ権利を認める理念も含むと考えています。

もちろん、抑うつ、興奮、錯乱などの精神上の症状があれば治療すべきです。また、これからは介護を受けている本人の精神保健以上に、介護者が看病苦で死にたくなる問題のほうが大きくなるとも考えられるのではないでしょうか。


表1   日本の65歳以上の男性, 1900-1990 (著者による調査と算出)

                                                   単純     調整
                                                 自殺率   自殺率
                               全人口 全自殺者     当年     1935
                             に対する に対する     人口     人口
年次          人口    自殺者  割合(%)  割合(%)   10万対   10万対

1900     1,059,187       540      4.8     14.5     51.0     51.0
1905     1,101,566       916      4.7     18.2     83.2     83.2
1910     1,214,813       960      4.9     16.2     79.0     80.3
1915     1,366,449     1,178      5.2     18.1     86.2     87.9
1920     1,302,441     1,135      4.6     17.4     87.1     88.6
1925     1,319,304     1,254      4.4     16.7     95.1     97.0
1930     1,318,748     1,396      4.1     15.9    105.9    106.5
1935     1,374,319     1,346      4.0     15.4     97.9     99.3
1940     1,461,200     1,127      4.1     19.3     77.1     79.4  
1945     1,563,000                4.6
1950     1,728,246     1,740      4.2     17.7    100.7    103.2
1955     2,027,764     1,732      4.6     12.5     85.4     87.0
1960     2,322,862     1,661      5.1     14.4     71.5     72.1
1965     2,720,533     1,719      5.6     20.6     63.2     64.2
1970     3,212,180     1,897      6.3     21.7     59.1     59.6
1975     3,823,030     2,194      7.0     18.7     57.4     57.1
1980     4,480,736     2,291      7.8     17.9     51.1     49.5
1985     5,076,521     2,727      8.6     17.8     53.7     50.7
1990     5,952,322     2,766      9.9     22.5     46.5     43.3

表2   日本の65歳以上の女性, 1900-1990 (著者による調査と算出)

                                                   単純     調整
                                                 自殺率   自殺率
                               全人口 全自殺者     当年     1935
                             に対する に対する     人口     人口
年次          人口    自殺者  割合(%)  割合(%)   10万対   10万対

1900     1,292,123       362      5.9     16.9     28.0     27.8
1905     1,326,139       666      5.7     21.7     50.2     49.5
1910     1,430,546       615      5.8     17.9     43.0     43.2
1915     1,589,081       743      6.0     20.4     46.8     47.1
1920     1,638,915       797      5.9     19.4     48.7     49.2
1925     1,701,759       834      5.7     17.6     49.0     48.7
1930     1,745,127       943      5.4     18.4     54.0     53.2
1935     1,850,640     1,013      5.4     18.6     54.7     53.9
1940     1,992,600       927      5.5     23.0     46.5     46.3
1945     2,137,000                5.6
1950     2,380,921     1,574      5.6     24.2     66.1     66.4
1955     2,719,527     1,535      6.0     17.8     56.4     55.1
1960     3,026,947     1,618      6.4     18.7     53.5     52.0
1965     3,460,292     1,714      6.9     28.0     49.5     47.7
1970     4,098,724     2,012      7.8     28.9     49.1     47.4
1975     5,014,197     2,595      8.9     31.5     51.8     49.4
1980     6,129,359     2,714     10.4     34.9     44.3     41.9
1985     7,344,965     2,874     12.0     35.8     39.1     35.9
1990     8,886,058     3,112     14.2     40.1     35.0     31.2

言葉遣いの譲り合い

上記の記事は難産でした。編集者に原稿を頼まれた時、「内容をお任せします」と言われました。1995年8月18日と1995年9月24日に送った原稿は次のように終わりました。

「自殺問題」の「予算化」

警察庁の『自殺の概要』のように集計したままの自殺者数を公表することには、意味がない訳ではありません。総数は、ある時期に、ある地域で、何人が自殺するのか、ということの測定であり、自殺予防団体、救急病院、さらには調査経費の予算の資料としも価値のある数字です。

しかし、社会福祉の状態を指示する指標や疫学上の発生率などとしての自殺統計ならば、少なくとも単純自殺率を計算しなければ意味がありません。そして、違う時期や違う地域などの比較をする時は、あらゆる年齢階級を含む全人口の場合のみならず、六五歳以上のような特定の部分人口の場合にも、年齢調整死亡率を算出する必要もあります。

警察庁が統計を集計したり公表する主な動機は、警察が何をやっているのか、そしてどれほど苦労しているのかを公に証明するためです。人口の増加やその構成の変化などに伴って捜査事件が自然に増える場合にも、事件の「数」を強調するのは、職員や設備を増やすための予算の要求にもつながっています。

高齢者の自殺が「増えている」と強調する学者にとっても、自殺は「問題になっている」などと主張したほうが、研究費などが出やすいのです。また、高齢者の自殺が「増えている」ので日本の社会が「悪くなっている」と自分が思い込み、人に思わせたい亡国論者も少なくないのです。

このように、「自殺問題」もかなり「政治化」されたことを前提とし意識しないと、政府報告、マスコミ、学術雑誌などに発表される統計とその解釈に意味づけするのは難しいのです。まず、「数」と「率」の区別を厳しくしなければなりません。それに、多少ややこしても不可欠な「調整自殺率」を算入せざるを得ません。そして、根拠まで証明しないのに「増えている」と強調する組織、団体、学者などの「自殺問題との利害関係」まで厳しく検討しなければ、人口の高齢化や精神保険の産業化などに伴って自然に増えている高齢者のための相談や臨床の要求に応える限られた予算は無駄になりながら間に合わなくなってしまいます。

「尊厳死を尊ぶ自殺予防」

では、高齢者の精神保健の予算は自殺予防のために何割を当てればよいのでしょうか。私は、特別に考えなくても良いと思います。つまり、「高齢者の自殺予防」を意識して勧めなくてもよいのです。

「死にたい」とほのめかす前兆症状を、普通の悩みごととして調べればよいのです。抑欝は抑欝で、高齢者としてではなく、いつもと同じようにその原因を追求したり治療すればよいと思います。

しかし、「尊厳死」を求める高齢者が増えている中で、「死にたい」といっている高齢者を必ずしも(即ち、強制的にも)死なせてはならない、という態度がよいのでしょうか。傷病が不治の状態になって死が迫り精神は健全であり、自分の死を冷静的に計画したり、専門家から安楽な自殺手段を教えて貰いたがる高齢者を無理に止めようとするのは誰のためでしょうか。死にたい本人のためでしょうか。それとも、死なせたくない人のためでしょうか。

「理性的自殺」があるとすれば、若者よりも高齢者のほうが、自殺者数の割合は多いでしょう。この意味では、もし高齢者のための自殺予防対策が特に必要なら、そのころろは、ヒトらしく安らかに死ぬ権利を認める理念から生じると思います。


編集者が送ってくれた校正は、「尊厳死を尊ぶ自殺予防」からの部分は没になりました。「理性的自殺」の話しなんて、保健師向けの雑誌に不適切ではない、と説明してくれました。ならば、原稿を撤回する、と私が答えました。締切日に攻められる「高齢者の自殺を防ぐ」の特集なので、それは困る、と言われました。じゃ、ちょっと書き直しましょう、と私が薦めました。その書き直しは下記の通りでした。

「自死を尊重する自殺予防」

警察庁が統計を集計したり公表する主な動機は、警察が何をやっているのか、どれほど苦労しているのかを公に証明するためです。人口の増加やその構成の変化などに伴って捜査事件が自然に増える場合にも、事件の「数」を強調するのは、職員や設備を増やすための予算の要求にもつながっています。

また、高齢者の自殺が「増えている」と強調する学者にとっても、自殺は 「問題になっている」などと主張したほうが、研究費などが出やすいのです。また、高齢者の自殺が「増えている」ので日本の社会が「悪くなっている」と自分が思い込み、人に思わせたい亡国論者も少なくないのです。

このように自殺を予算化する中では、警察庁の『自殺の概要』のように、集計したままの自殺者数を公表することには、全く意味がない訳ではありません。総数は、ある時期に、ある地域で、何人が自殺するのか、ということの測定であり、自殺予防団体、救急病院、さらには調査経費の予算の資料としても価値のある数字です。

幸いながら、高齢者の介護をする家族、保健人、カウンセラー、臨床家などにとっては、官庁、マスコミ、学界から流されてくる自殺統計の信頼性の問題を考える必要は全くありません。人の悩みは数の問題ではないからです。

しかし、高齢者の自殺予防はこれから複雑になります。介護を受けている本人の精神保健よりも、介護者が看病苦で死にたくなる問題のほうが大きくなるでしょう。

「死にたい」と述べる高齢者を強制的に止めなくてもよい、場面によって関与してもよい場合も増えます。抑欝、興奮、錯乱などの精神上の症状があれば、もちろん治療すべきが、冷静的に「尊厳死」や「自死」を求めるのなら、どうすればよいのでしょうか。

専門家から安楽な自殺手段を教えて貰いたがる高齢者を無理に止めようとするのは誰のためでしょうか。死にたい本人のためでしょうか。それとも、死なせたくない人のためでしょうか。

「理性的自殺」があるとすれば、若者よりも高齢者のほうが多いでしょう。この意味では、真の自殺予防のころろは、ヒトらしく安らかに死ぬ権利を認める理念から生じると思います。


「関与」とか「理性的自殺」などのような表現は、絶対に避けたい、とまた言われたが、また撤回するのか、書き直すのか、のようまた選択に迫られました。結局、ギリギリまで「尊厳死」や「自死」のような言葉を生かすように、苦労しました。

このような体験は今回ばかりではありません。自殺予防者は、絶対予防主義者が多い。「理性自殺」のような言葉を聞く耳はありません。また、自殺を問題化すればするほど研究費が出る、のような批判も聞きたがらないのは現状です。残念ながら。